哲学と梟

元着物屋・元シナリオライター・現フリーライターの梟が、ふと思いついた疑問などを提唱致します。

「『フリーランスクリエイターの友人が、クライアントの倒産により報酬が未払い状態』になって考えたこと。」の反応を受けて、「未経験者の陥りやすい落ち度」対策を有償化しようとした理由。

 

 「フリーランスクリエイターの友人が、クライアントの倒産により報酬が未払い状態」になって考えたこと。http://togetter.com/li/900777】をツイッターで呟いたり、トゥギャッターでまとめた記事により、様々な反応がございました。

 

 中でも、「友人の不幸を出汁に宣伝しようとしているのでは」「肝心の対策は『有償かも』とは、何でなの……?」と、「未経験者の陥りやすい落ち度」対策を有償化しようとしていることへの疑問や拒否感も大きかったように見受けました。中には、「その友人本人は実在するのか?」とも。

(ちなみに、友人本人にこの話をしたら「居るよ!!」と、何故か爆笑されました)

 

 私は「商売人」ではなく「フリーライター」でございます。書いたら、書いた分の対価を得る権利があるとも考えておりますので、その意識や認識が「フリーランスクリエイターではない読者」と私の大きな考え方の違いとズレ」かとも感じました。

 

 最初は、まとめにもある通り、被害者友人の代理として呟いておりました。それは本人も了承の上です。

 この件をブログなどで発表することは、被害者である友人本人にも勿論のこと、確認済みですし、有償化する部分に関しては私個人の経験談のみを記すことになっております。

 

 「私個人の経験談」の中に、「友人(被害者含む)たちとの対話・実例」なども入りますが、それぞれに許可を得た上で発表致します。

 

 まとめを編集し直しましたが、対策の部分は「通常のフリーランスなら、自分で(費用をかけて)勉強すること」ですので、有償が妥当かとも感じました。「被害者を減らしたい」考えの所は、はてなブログに書く部分で伝わるかと思います。

 

 私が「注意喚起」をしたかったのは「買い叩きや、悪条件を恒常化する業者が多い」とのことで、その見極め方は、未経験者でも勘の良い方なら、無料公開部分でも伝わるかと思います。

 

 「未経験者の陥りやすい落ち度」で書こうと思っているのは、例えばですが「就職・転職活動の仕方」「良いクライアントと出会うためには」「フリーランスクリエイターになるために、しておいた方が良いこと」などです。これらができないことが、「落ち度」となります。

 

 それを、わざわざ無償で公開するのもどうかと考えました。何故なら、私はその技術を身に付けるために、多くの失敗をし、勉強するためにお金を費やしたりしたのです。内容も、「失敗から成功する術の身につけ方」として、セミナーなどで発表するレベルの情報です。ですから、友人達と相談の上「有償化」を視野に入れることに致しました。

 

 他の業種の方や、私以外のクリエイターさんとの経験の積み方の違いもございますが、私が人に教える立場になった際に「無償で教えた場合、本人が(無意識で)何度でも必要なときに訊けば良い」と考えたりして全く覚えなかったり、逆に「有償だから、支払った分だけ真剣に身に付ける」方が多かったからでもあります。

 

 何よりも悲しいことですが、多くの人は「無料で得たものを活用しない・大事にしない」ものです。路上で配られたティッシュと、自分のお金で買ったティッシュ、どちらを大切に扱い最後まで使いきりますか?読み捨てられないためにも、私は有償化を選びたいと感じました。

 

 「先輩の伝手を便りに成長していく・技術を得る」ことも正解だと思います。ただ、現在でそれをやるのには、専門の学校へ行ったり、業界の方の集まる交流会やセミナーに参加して(自分を)売り込むことだとも感じてます。それは、時間もお金も掛かります。

 

 私の友人を始め、クリエイターになりたい方に、そのように「交流会やセミナーなどに参加したり学校に行ってみては」と伝えても、大体「そんな梟さんみたいにお金もないし……(実際には、私もお金はありません)」と、本気でなりたいのか分からない返事が返ってきます。

 

 そのような受け身すぎた考えのために「自分のライバルを生み出す文章」を書くほどに、私は聖人君子ではないようです。 この記事を読む皆様も物作りをお仕事にされてたり、志してらっしゃるかとの想定で書いておりますので、伝わるかとは思いますが、私はライターなので、「書いたら書いた分の対価を得る権利がある」とも考えております。

 

 ですから「注意喚起の効力を高めるために有償化する」のではなく、「『本気で情報を求めている、将来的にライバルになりうる方』に届けるための有償化」なのです。悲しいことに、人は無料で得たものを活用しないことが多いので、私はそんな記事にはしたくないのです……。

 

 これは、定価で買った単行本をしっかり読み本棚に大事にしまうけれど、中古で百円で買った単行本を読みもせず「百円だから」と、その辺に雑に転がす方が少なくはない……と云うと、伝わりやすいかとも思います。

 

 何より、友人自身にも何度か「教えて」と問われ、その対策を何度か口頭や書面(私の履歴書職務経歴書を見せたことも)でも説明をしましたが、全く活かされておりませんでした。

 

 反面、私は着付けなども教えているのですが、学びにいらっしゃる方は、お金を支払っている分、真剣に学び取ろうとします。それらのことからも、「本人の意思でお金を支払ってでも得た情報」の方が、活用されるのだと身に沁みて感じております。

 

 私も有償化することに対して、大分悩みましたし、友人たちにも相談を致しました。これらの説明が、詭弁のような言い訳にしか見えないかとも思います。有償化することは、自分自身でも好ましいこととは思いませんが、無償で教えることの悲しさもあるのです。

 

 全ての方にご理解頂ける考えだとは思いませんし、どうしても受け入れられない方もいらっしゃるかと思います。それでも、もし自分が「フリーランスクリエイターだったとしたら」と仮定して、その場合、「ライバルを増やすことを無償でできるか」と考えてみて頂けますと、幸いです。

 

 

 

 

 

SNSなどで訃報告知をされた場合、その対応などで悩んでいる方へ。

 

 SNSで訃報告知をした方、された方。

それで悩んだり傷付いた方に届きますと、幸いです。

 

 大切な方に旅立たれ、深い悲しみを抱く方に。
 旅立った方へ、心からの愛を込めて。

 

 ツイッターを始めとする、SNSなどでの訃報告知(御本人や御本人のご家族の)をされた場合、その相手の方への対応を悩んでいる方に、伝えたいことがございます。
 これから、詳細を書き込もうと思いますので、ご一読頂けますと幸いです。
 因みに、私は告知した経験も、告知された経験もございます。

 

 私の父は、末期ガンで一昨年旅立ちました。
 本人の希望も有り、ごく身内に電話やメールで告知するに留め、ツイッターSNSでは全てが落ち着いてから、分かる人にだけ伝わる様にお知らせ致しました。
 SNSでの告知の仕方は「父は、炭素と煙になりました。」との一文でした。
 お葬式も何もかもが終わり、平常心を保てるようになってから、一言。それだけでも、有り難いことに伝わったようです。
 本当はSNSでの告知はしたくなかったのですが、心配して下さった方がいらしたので致しました。

 告知したくなかった理由は、あまり心配を掛けさせたくなかった事と、同じ傷を持つ方に思い出させたくはなかったからです。
 心配して下さり、お優しい言葉を掛けて頂けた事は、今でも感謝しておりますし、とても励みになりました。
 今回、初めて私の父が旅立った事を知った方も多いと思います。

 

 私の父が旅立ったその二月後、私の仕事仲間(Mさん)のお父様が、仕事中に旅立ってしまいました。
 私の父の様に、余命宣告をされる事はなく、本当に唐突な旅立ちでしたので、Mさんは酷く取り乱しました。
 ツイッターで「大切な人にもう会えないと言われたら、どう生きれば良いのか」と呟いたりしておりました。
 それを見て、もしかしたら身内に御不幸が有ったのかもしれない、と思いましたが、訊く事が躊躇われました。その翌日「お通夜に流したい曲の編集方法を知ってる方は居ませんか?」と呟いていたので、やっぱりそうだったのかと思い、それとなく支えようと思いました。

 

 しかし、私は失敗しました。

 

 彼女のお父様への愛は深く「後追いをしたい」と匂わせる呟きをしていたので「そんな事をしたら、お父様は悲しむ」と言ってしまいました。
 彼女は「それでも、私は父に会いたい。ほっといて下さい」と言わせてしまうほど、怒らせてしまいました。
 もう、私が何を言っても受け入れて頂けぬと思い、静観を選択しました。
 それでも、Mさんには心配して下さっているフォロワーさんが多い様に見えましたので、私一人居なくても大丈夫だと思いました。
 ただ、彼女はお父様の棺の写真をツイッターにアップして「もう起きてこないなんて……」と呟いていたことが心配でした。それでも、私は更に彼女を傷つけてしまわないかと思い、口をつぐみました。

 

 しかし、それは大きな間違いでした。


 彼女は一人の心無い人物の言葉に大きく傷付けられ、内容が内容だけに相談する相手もなく、一人で抱え込んでしまっていたのです。

 Mさんには当時、それなりに交流の有ったYさんと云う、二十歳そこそこの若いフォロワーさんが居たそうです。
 気付いたら、彼女にリムーブされていたので「何かしてしまいましたか?」と問い合わせた処で「Mさんのお父様のお葬式関連の呟きをすること自体が非常識で、不快感を覚えた。お棺の写真をあげていたことも信じられない」と、答えられたそうです。
「本当に死を悲しんでいたら、そんな事は出来ない。お父様が可哀想」とまで言われたそうです。

 

 私がこの話を聞いたのは、それから一月後の事です。

 

 MさんとYさんには共通の知り合いが多く、誰にも言えなかった。けれど、私にはああ言ってしまった手前、都合良く泣き付く事も出来なかった、と。
 彼女は泣きながら言いました。「梟もお父様が亡くなったばかりなのに、ごめんね。他にも話を聞いてくれるって言ってくれる方も居るけど、何度も同じ事を聞かせるのも申し訳なくて…」と。
 二年半経った今でも、彼女は乗り越えられてはいない。後追いを考えては耐え、思い返しては泣く日も少なくはない。

 今では、お互いに父親の思い出を笑ったり、時には涙ながらに語ったり、普通に遊んだりもする様になりました。
 しかし、今でも当時の彼女の言葉を額面通りに受け取り、或る意味、突き放してしまっていた事を後悔もしております。

 

 そして、その半年後。違うフォロワーさんのお父様が旅立たれました。

 

 そのフォロワーさん(Aさん)のお父様も末期ガンで、告知・余命宣告をされた際など折々に、個人的に相談を受けておりました。お役に立てたかは不明ですが、彼女自身が厳しい現実を真摯に受け止めようと努めていた最中であった事は確かです。
  今は只、良き旅立ちであったことを祈るばかりです。

 Aさんは、お父様が危篤状態の際から、訃報告知までツイッタで呟き続けておりました。
 幸いな事に、彼女のフォロワさんは精神的に大人で、とても心優しい方が多いようで、温かで彼女を気遣うコメントやメッセージが多く届いているご様子でした。その点は安心致しました。

 Aさんは、お父様関連の話以外にも、普段日常的に語っているようなネタ的話や、リツイートなども呟いておりました。
 敢えて日常と同じ言動をする事により、精神の均衡を図っているのだと思います。突然過ぎて、未だに実感が湧かなかったり、式の支度で慌ただしいからと云う事もあるのでしょう。

 御本人も「ツイッターに来ると気が紛れるなぁ」と、呟かれておりました。
 私も、父が旅立った当時には、ツイッターを眺めて「みんな生きてるなぁ、やっぱり楽しい話を眺めるだけでも幸せだなぁ」と思っておりましたので、その気持ちはよく分かります。

 

 そこに来るだけで、安らぐ事もあるのです。

 

 Aさんも私も、旅立ちについて、それなりの覚悟はしておりました。事情を知っていた方もいらっしゃると思います。
 ただ、今回のことで初めて知った方や、どんな言葉を掛ければ良いものかと、悩んでいる方も多かったことでしょう。悩んだ末に、何も伝えない事も、間違いではないと、私はそう思います。

 ただ、前述のMさんが言われたような「非常識だ・御家族の死を本当に悲しんではいない」等との勘違いだけはして欲しくはないです。

 Aさんの呟きを全て確認していなければ、そう見えなくもないとも言えますが、決してそんな事はないのです。それから、波が緩やかに訪れてきたのではないかと思います。

 

 これは、私のフォロワさんであるAさんやMさんだけではなく、ツイッターSNSで訃報告知をする方・受けた方、全ての方に言える事です。悲しみ方や乗り越え方・受け止め方は、人それぞれ。その自由を認め、受け入れられなければ、敢えて傷付けるような事はせず、受け流して頂きたいのです。

 

 そして、コメントやメッセージを送ったのに、返信を返している相手とそうでない相手が居る事も、深く気になさらないで頂きたいのです。精神的に落ち着いておらず、追い付いていないのだと思います。「返信不要ですので」と一言添えるだけでも、相手の気がとても楽になるかと思います。

 

 何かを伝えたいのに、うまく伝え方が分からない時には「○○さんも、体に気を付けて」や「いつでも話を聞くよ」と心配している事が伝わる一言や、相手が望んでいれば、普段のノリで話し掛けつつ「少しは休んで」などと伝えるのも宜しいかと思います。
 定型的なお悔やみの言葉でも大丈夫です。

 

 そして、ご遺族の方が落ち着いた際に(実際には心の整理はついていないかとは思いますが)話を聞いて欲しいとお願いされた方は、その対話の最後に「辛かったことを話してくれて、有難う」と伝えても良いかと思います。
 この一言で、話した方も精神的に楽になるのではないでしょうか。

 勿論、普段通りに面白おかしく接して欲しい、と御本人が願ってらしていたのでしたら、その様に接すれば宜しいかと思います。
 接し方が分からないからといって、腫れ物に触れるように気を遣いすぎる事も、重荷になることがございますので。

 

  以上です。お読み下さった方に幸いがあります様に。

 

 


最果ての幸福

(‐∨‐) . o 0( 西の果ての国に、柔らかで暖かな寝台から沈む夕陽を見て「ああ、世界の終わりのようだ」と咳き込む子供が居ました。
数刻後、東の果ての国の固く冷たい路上に、昇る朝日を見て「ああ、世界の始まりだ」と、起き上がり背を伸ばす老人が居ました。
どちらが幸福でしょうか?)

 

 梟は、老人のほうが幸福なのではないかと、個人的には感じます。

 皆様の目には、どちらが幸福に映りますか?